最終章 その2
劇団時代の章の「今にして思う事」にも少しだけ書きましたが、僕はそれまで、「実力さえあれば評価されるはず。だから実力を伸ばしさえすれば状況は好転するはず。」そう信じていました。
だから大きな役を与えられた時には、自分の実力を証明したとしか思わず、「どうだ! 見たか! やっぱり俺は凄い!」と言う気持ちでガッツポーズをしていました。そこに、感謝や恩返しをしたいと言う気持ちは微塵もありませんでした。
お客様や、舞台を支えて下さる裏方さん、育ててくれた親や指導して下さった先生。口先ではどうこう言っていたとしても、自分がどれだけ周りの人のお陰で生かされているのか、その恩の本当の意味はまったく理解していませんでした。
やる気は誰よりもありましたが、それは「この役を完璧にこなして、僕の実力を見せつけよう」という野心のみからくるものでした。しかし、良い仕事をするというのは、自分の実力を見せつける事ではなく、起用して下さった信頼に応える事なのです。
人が誰かにチャンスを与えるというのは、相手を人間として好きになってこそだと言うのがその本質です。僕はとても周りから愛されるような人間ではありませんでした。仕事が終わってから、後日お礼の連絡を入れる事すらしていません。そりゃ、そんな奴が選ばれる訳がありません。
そういう事をまったく理解していない僕は、「実力」も「情熱」も周りより勝っている自負があるのに評価されない事が理解できず、不満を募らせていました。「俺の方が上手なのに」「俺の方がやる気あるのに」「なんであんな奴が選ばれる?」僕にはもう1つの重要な要素である「人間性」が決定的に欠如していたのです。
自分の人間的な下らなさが原因で周りに愛されず、それは事務所にも見抜かれており、だから仕事のチャンスも多くは与えて貰えなかっただけの事。事務所時代に活動がうまく行かなかった最大の原因は他の誰でもない、僕自身の人間的未熟さそのものだったのだと、今更ながらに気付かされる事になったのでした。
仕事の時だけではありません。プライベートでも、僕は相手を大事にすると言う事がまるで出来ていませんでした。心が狭く、自分の価値観でしか接さず、意見が割れれば自分の意見を押し通して来ました。家族内でも、劇団でも、彼女にも、多くの場面で、僕は自分本位でしかありませんでした。
それから僕は物事の捉え方が変わりました。仕事を戴けば感謝の気持ちが先に立つようになり、目的が「自分の実力証明」ではなく、「チャンスを与えてくれた信頼を裏切らないように」との考えに変わりました。
紹介者を介しての仕事ならば「紹介者の顔を潰してはならない」と言う思いも加わります。そして、その紹介者が現場に居ない場合は、終了後にその方にキチンと結果報告をする。以前の僕なら、こんな基本的な事も出来ませんでした。
ステージングそのものにおいてもアプローチが変わりました。「自分の凄技テクニックを見せつけよう」とするようなステージングではなくなり、お客さんはどうすれば楽しんでくれるか、飽きないか、また聴きたいと思って戴けるか。それを基準に構成を考えるようになって行きました。すると、少しずつ色んな物事が上手くいくようになって来たのです。仕事のリピート率が徐々に上がり、紹介に繋がる事も少し増えたような気がします。
ギター教室においても、それまでは生徒さんが入っても定着しない事が多かったのが、この頃からは、どの生徒さんも長続きするようになっていきました。教え方が上達したのもあるかとは思いますが、以前よりも人として信頼できる講師になったのだと思います。
この頃、鬱はもうまったく自覚症状がないくらいに、ほぼ完治しており、母のほうも、まだ通院や薬の服用は続けているものの、確実に回復傾向にありました。
そして僕は、あちこちでとにかく演奏の機会を作りまくりました。初心に帰り、「演奏させて戴けるなら」と、小さなイベントにも進んで出向きました。勿論その大半はノーギャラのアマチュアミュージシャンのライブ企画です。お客さんが1人しか居ないなんて日もありましたが、そのひとつひとつに僕はオーディションのつもりで全力で臨みました。
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