最終章 その1
幼少の頃から辛いだけの人生でしたが、首吊りからの1年間ほどはさらに絶望しかない時間でした。そもそもこの世はなんのために存在しているのだろうか。人はどこから来て、どこに行くのか。なんのために「この世」に立ち寄ったのだろうか。
ただ考え込むだけで時間だけが過ぎて行く。新たに悪い出来事が起こる訳ではありませんでしたが、勿論良い事など何もない。まさに「無」の時期でした。
現状を変えたいと言う思いはありました。母の人生のお荷物のままで居たくないとも思っていました。しかし、今の状況を打開できそうな気は全くしませんでした。今まで散々頑張って来た結果がコレなのですから、ずっとこのままになってしまう予感しかしませんでした。
睡眠以外の時間は、1日中ずっとインターネットばかりやっていました。インターネットで他の自殺志願者と知り合って、会った事も何度かありました。会わずじまいだった相手の中には、本当に自殺してしまった子もいました。会った事もない相手なのに、あの時は泣きました(自分も死のうとした身のクセにね)。
ある日、知人に誘われるがまま人に会いました。その人はいわゆるビジネス成功者でした。某有名ミュージシャンと知り合いとの事だったので、なにか人脈になればと思って足を向けたのですが、このきっかけが僕の人生にとって大きな転機となるのです。
そこの集団はさながら、社会の本質・仕組みが如実に詰まった見本市でした。人が慕って集まるお手本が居れば、誰も集まらない反面教師も居ました。ダメな人がなぜダメなままなのか、僕がなぜダメなのか。現状に不満を言うだけで、それを打破する機会が訪れても挑戦しない理由を探す者。逆に、現状を変えられる人の思考とは。それらの答えが丸見えに露呈している世界だったのです。
少し宗教臭さもあったので、長く出入りする場ではないと感じていたものの、その時父からは、「お前は本当の意味での社会経験が足りていない。だからそういう場で社会を学ぶのは良い経験になるだろう。」と後押しをされました。僕はそこで2年間ほど、人生という意味、社会と言う大海の本質を本気で学び直しました。物事の捉え方、社会で本当に大事な事、優先順位、事が迫った時に考えるべき事。そして僕は、それまでの価値観を根本からひっくり返されてしまったのです。
自己啓発のようなセミナーも薦められました。以前の僕なら絶対に行かなかったでしょう。そもそも興味がありませんでしたし、有料となるとインチキ臭いと思い込んでもいました。でも僕は、「このままではダメだ、何か自分を変えなきゃ」と思い、足を運んだのです。
この手の勉強で学ぶ詳しい内容は、多くの啓発系の書籍に上手な言葉で書かれているかと思うので、あまり広くは書きませんが、大きく2つの事を学びました。
1つ目は、「人生結局は自分次第」という事。自分の現状を変えるには、自分自身が決心する以外にない。
2つ目は「人を大切にする事、人との繋がりを大切にする事」です。特にこの2つ目は、僕に決定的に不足している物でした。
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