第6章の「今にして思う事」

僕が首を吊った事は当時、限られた人間しか知りませんが、その全員から口を揃えて言われた事があります。それは「ネクタイが切れたのは、神様が生きろって言ってるんだぞ」と言う事でした。

首を吊った直後の1週間ほどは、記憶が混乱する事が多くありました。実際にあった事が、夢での出来事のような気がしたり、夢と現実の境がボンヤリしたり。脅迫メールを送った事も、実を言うと何処か遠い夢で見た話のようにも感じました。メールの文章内容なんて詳しくは覚えていないほどです。

幻聴のような物が聴こえた期間もありました。全てが夢であって欲しい、すべてが嘘であって欲しい、そんな現実逃避をしたい気持ちが、聞こえているような気にさせていたのかもしれません。彼女の不倫と言う精神的ショックと、首吊りと言う肉体的ショック、2つの大きなショックで精神が崩壊していたのでしょう。当時は精神病院に閉じ込められることに対して反感を持ちましたが、今思えば、やはり僕は精神病院に入るに値する状態だったのかもしれません。

ちょうど入院中に、秋葉原での無差別殺傷事件が起こり、他の患者や看護師の方々と一緒に、病棟のロビーでそのニュースを見ました。「精神病院でもこのニュースを患者に見せるんだな。変な刺激を与えたり、触発してしまう危険とかはないのかな?」とか、そんな事を考えながら見ていました。

父は若い頃から海外志向が強く、定年後に海外赴任を延長するほどよく働きました。家族が経済面で苦労させられる事はまったくありませんでした。また仕事にも趣味にもアクティブで、短期的な日常計画から長期的な人生設計まで、プランをキチンと立て、日々を「なんとなく過ごす」という事があまりない人間です。それは凄い事だと思います。

子供の頃はそれに強要・強制的に付き合わされるのが嫌で仕方ありませんでしたが、父が自分だけで行動する分には、「大したものだな」と思わされる事も多くあります。今でも腹の立つ事は多いし、仲良しとは言えませんが、父のそんな良いところを見て、認められるようになったのも、この時の事件が境でした。

警察沙汰になった時は、反省や罪悪感もありましたが、それ以上に、逮捕される事への恐怖が大きかったのが実際のところだと思います。また同時に「苦しかったのは俺のほうなのに。俺も被害者なのに」と言うような意識が心のどこかにありました。

彼女にとっての僕は、きっと恨みしかない、忘れたい過去でしょう。次の章で詳しく触れますが、僕はこの数年後、自分が如何に下らない人間だったかに気付く事になります。確実に言えるのは、僕は自分本位で、心が狭く、稼ぎもないし、包容力なんて皆無、彼女に対しても自分の価値観でしか接していなかったのがすべてだったと言う事です。

もし今、彼女に言える事があるなら?「出逢うまでに一人前になるのが間に合わなくてすまなかった。」

人間は崖っぷちに立っていても下らない事を考えたりするもので、千切れたネクタイが黄色の1番お気に入りの物だったため、「ああ、他のタイにしておけば良かった」とか、救急車内でレスキュー隊員が僕の着ているTシャツをハサミで切った時は、薄っすらした意識の中で、「あ、俺どのシャツ着てたっけ? お気に入りのだったかな?」とか頭をよぎりました。

こんな下らない事を考えるのは「死ぬ気がないのでは?」と思う人もいるでしょうが、そうではないのが真相のようです。

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