第6章 その4
退院後、僕は自ら警察に出頭しました。警察署に向かう時に乗ったタクシーの中で、到着寸前になぜか僕は運転手さんに、「僕、今から自首するんです」と言いました。(犯人として特定されていたため、実際は自首扱いにはならないらしいです。)誰かに一言、聞いて欲しかったのだと思います。運転手さんに「しっかりな」と言われました。上辺の言葉だったかもしれませんが、胸に沁みました。
その後弁護士さんを入れ、手続きを踏み「恐喝問題」にきちんと責任と決着をつけました。心のどこかで「最後の最後に彼女が庇ってくれるのでは・・・」なんて甘い事を期待していた気もしますが、しかしそれはありませんでした。彼女とは首を吊る1週間ほど前に会って以来、その後二度と会う事はないままです。
僕が精神病院にいる間は、気丈に僕を励まし続けた母ですが、息子の自殺に対してのショックで、今度はその母が鬱になってしまいました。僕が劇団時代の最も酷かった時期と同じくらいの重症です。母と二人暮らしだった僕は、病院への送迎、買い物、食事の用意など、母の世話をするようになりました。僕は「自分のせいで母が死んだらどうしよう」と言う後悔でいっぱいになりました。
それから僕は頻繁に、母にハグをするようになりました。世間ではよく「親が死んでから、感謝や謝罪を言えば良かったと後悔する」と言うような話を聞きますが、僕はこの時に激しく後悔をしたのです。
そして世間のケースと決定的に違うのは、僕の場合はまだ母が生きていると言う事です。だから生きている間に愛情表現をめいっぱいしたいと思ったのでした。これ以降、僕は一切母に暴力を振るう事はなくなり、代わりに毎日のようにハグをするようになったのでした。
両親との関係は良くなりましたが、しかし、それでも僕に希望など何もない状況に変わりはありません。
ニートの引きこもり、中学の時のような「外に出るのが怖い」と言う事ではなく、外に何も見い出せないから外出しない、「外に出たところで」と言う感じでした。昼夜逆転は勿論の事、起きている間はずっとインターネットばかりし、いわゆるネットの住人と化しました。
この先も数年間、引き続きほとんど稼ぎの無い状態が続きます。年収で10万円以下の期間は、事務所時代の後期から数えて10年を越える事になります。
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