第5章の「今にして思う事」

事務所を辞めて首を吊るまでの3年、社長と言うフィルターを通さなくなった事で、ステージや舞台に出演すれば、その評価は格段に正当なものとなりました。

この時期の僕は、とにかくまず自信を取り戻す必要がありました。そして演奏に評価を戴けた事で自暴自棄の気持ちが徐々に収まり、演奏活動に踏み出すスイッチになったのですから、やはり自分の個性や持ち味に気付く事や、長けた部分を評価される事は必要なのです。

そして改めて、事務所では僕以外の団員も含め、良かった部分も否定され続けた事で、多くの才能が開花のチャンスを潰されて来たのだろうなぁと思います。芝居においてどんな個性を持っているかだけでなく、企画力を持った者、色彩感覚に長けた者、デザインセンスのある者、宣伝戦略の勘を備えた者、世の中の流れを読める者、きっと色々な感性で「売れる」事に貢献できた才能が居ただろうにと思います。

姓名判断に関しては、今も半信半疑な部分はあります。よく「誰にでもあてはまる事を言っているだけ」などの意見もあり、僕も基本的にはそう考えている人間なのですが、しかしそれを差し引いてもあまりにもドンピシャな事を言われてしまい、僕にはとてもこれを無視する事ができませんでした。

実際、それまでの僕の人生で毎日の食事や睡眠や排せつと同じくらい、日常生活の中に当たり前に存在し続けたイジメは、改名以後まったくありません。イジメを引き寄せる電波を出さなくなったのです。そして改名から5年後くらいから、あらゆる事が上手く行くようになります。

とは言え、改名から3年後くらいに首を吊る事になるので、改名から効果が表れるまでには少し時間がかかるのでしょうか(笑)。

本名の字は今でも恨めしい存在です。市役所や病院などで、どうしても本名を使わざるを得ない時は嫌な思いをします。そんな時は、画数が一画増える旧漢字を使用しています。

ただ、姓名判断そのものの是非はともかく、最近では、「僕はすべての元凶を名前のせいにできた事で、もう一度頑張り直せたのかもしれない」と思えるようになりました。

つまり、「物事が悪いほうに進むのはすべて名前のせい。ならば名前を変えれば運勢も変わるから、物事がうまく行くはず。名前を変えるという打開策が残っている。」そう思えた事で、もう1度頑張れたのかもしれません。

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