第5章 その1

事務所と劇団を辞めた時、僕は28歳を目前に控えていました。1日置きに劇団に行かなければならない強迫観念からは解放されましたが、退所退団は生きる意味そのものを失う挫折であり、僕は完全に自暴自棄にもなっていました。

この時期の僕の目には、世の中のすべてが恨めしく憎たらしい物に映りました。目に入る物すべてが敵に見え、なんでもかんでも睨みつける。失礼な対応の店員が居れば、今までなら黙って泣き寝入りしていたところ、喰ってかかるように変わりました。怒り、苛立ち、憎しみ、恨み、そんな感情しか存在せず、「笑う」「笑顔になる」と言う行為がまったく無くなっている状態の毎日でした。

そして母には過去の事を持ち出して荒れるようになりました。高校の時、イジメに対して僕が望む対応をしてくれなかった事です。イジメは10年以上も前の事ですが、何年経ってもその時の悔しさは消えていません。消すには夢を叶える事で人生を逆転するしかないと信じて頑張ってきました。だからこそあの辛いイジメに耐え、不本意な母の対応にも涙を飲んだのです。

「神様はイジメの辛さと引き換えに、夢を叶えるくらいのバランスは取ってくれる」そう信じて頑張って来たのに、夢が叶わないなら、あのイジメの辛さはなんだったのか。10年以上前のイジメへの悔しさが強烈に蘇り、母を責めたのでした。

「自転車を壊された時、なぜ犯人追及を要求しなかったのか、なぜ学校にそれを見逃すように言ったのか、なぜ仇を取ろうと戦ってくれなかったのか」。母が「逆恨みでイジメが悪化するのを恐れた」と言うと、「じゃお前は俺が殺されても報復が怖いからと、犯人を野放しにする事を望むのだな!犯人逮捕は求めず、告訴もせず、見逃すように言うのか!」と怒鳴りました。

激しく落ち込んだ僕は姓名判断を受ける事になりました。僕の名前「荒田亮平」が姓名判断的にあまり良くないのは薄々知っていましたが、占いの類を信じていない僕は、その事から目を逸らして来ました。しかし、伯母の知り合いに姓名判断の先生が居たため、これを機会に、一度キチンと調べて貰う事にしたのでした。

すると、「あまり良くない」なんて生半可なものではありませんでした。一端の救いも、マシな箇所すら何ひとつない、最低最悪、究極の悪名だったのです。10個の診断項目があるとしたら、2項目が「凶」で8項目が「大凶」と言った具合です。

具体的な運勢の内容は、「争いごとばかりの人生。それも巻き込まれる形で常に攻撃を受け続ける。自分の責任や選択や行動とは無関係な所で起こった火の粉に巻き込まれる。あと一歩の所まで辿り着いても、他人のミスやトバッチリなど、自分とは関係ない所で起こった火種でそれを失う。」

さらに、運気が特に悪い時期として2つの年を指摘されたのですが、それはまさに、イジメがピークに達した自転車を壊された年と、長年の努力の集大成だったボイスサンプルが消された年だったのです。さらに片方の親と仲が悪い事も言い当てられました。

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