第4章 その4
こんな環境でしたが、学生時代のイジメとは大きく違う点がありました。それは、僕だけがターゲットではなかった事です。社長のパワハラは、激しく贔屓された1人を除き、ほぼ全員に対してだったため、僕以外にも多くの優秀な役者が不当な扱いを受けていました。
多くの場合それは大勢の前で吊るし上げる形で行なわれるため、自尊心が傷つき、ある女性団員は吊るし上げられている最中、あまりのショックに鼻血を出してしまったほどでした。全員の前で「辞めさすぞ!」と怒鳴られている先輩も居て、すごく気の毒でした。
内容的には社長が正しい事を言っている場合も少なくなかったとは思いますが、しかし人格否定さえも織り交ぜた吊るし上げでは、その言葉が団員の心に響く訳はありません。「俺におんぶにだっこで、お前ら恵まれてるんだぞ!」「お前反省してないだろ!」発奮を促そうとの狙いなのだとしても、このような罵声では団員の中に芽生える物は発奮ではなく、反発と反感です。
ここの劇団員は、毎年何百人もの入所者が集まる大手養成所で、最短でも3年間の篩(ふるい)に掛けられて生き残った上澄みの人材達です。実力の平均値は関西でも有数の劇団だったと思います。しかしみんな、普段から罵られ続けているので、委縮して「自分は実力がないのだ」と思い込み、まったく生き生きとした演技ができなくなっていました。
多くの団員が毎回ビクビクしながら稽古に臨み、役作りにおいても、「どのように演じればこの役を表現できるのか、どうすればお客様に分かりやすいか」そんな本来あるべき思考で役を作っていく事はなくなり、「どうすれば怒鳴られないか、どうすればスルーして貰えるか、どうすれば誤魔化せるか」どうしてもそんな模索の仕方をしてしまうクセが染み付いてしまうのでした。
劇団内で最も目を輝かせている団員は毎年、新入団員であり、そして彼らも日々のパワハラに委縮して、徐々に目の輝きを失って潰れて行く。それが、この劇団のほぼ全員が辿るコースなのでした。みんな個性と能力があっただけに、実に勿体ない話です。
僕らの公演を観た方々の多くから、口を揃えて幾度となく言われる感想があります。「演技は上手だけど生き生きしていない」「しっかりした芝居だが個性や面白味がない」演じている本人達が楽しくなく、疑問を持ちながらやっているのですから当然です。
前途の社長ご贔屓の役者の件も、団員が社長への不信感を募らせる大きな要因でした。この役者が認めざるを得ないほど演技が上手だったり、尊敬できる人格者であれば良かったのですが、彼はまるで絵に描いたように、自分だけが社長に気に入られている事で踏ん反り返り、威張り散らし、陰で後輩をイビり、女性にはセクハラをし、演技も下手糞なのに、イエスマンであるため社長から溺愛され、仕事も優先的に与えられる。
当然、他の団員からの反感は相当に大きい物となっていました。社長が「お前らもあいつを見習え!」と言った時の、稽古場の静まり返った空気の異様さは忘れません。全員が心の中で「冗談じゃない!」と叫んでいるのが手に取るように分かりました。
とっとと事務所を辞めるなり、移籍先を探すなりすれば良かったのですが、僕にその選択が出来なかったのには理由がありました。僕は事務所と劇団への所属が決まった時、自分に誓いを立てたのでした。
「社長はこの業界で凄い人。この人を信頼できなくなったらおしまいだ。社長を疑問に思った時でも、いや、きっとこの人は正しいはずだと信じてみよう」いつか迷ったりブレた時に備えて、そんな時に「あの気持ちを思い出そう」とすがれるような指針となる考えを、入団時に自分自身に確認し固めておいたのです。
劇団員の中で、おそらく僕が1番忠誠を誓っていたと思います。そのため他の劇団員は早い段階で社長と言う人間に見切りを付けて行く中で、僕は最初の誓いを思い出し、「いや、もう少しだけ信じてみよう」と自分に言い聞かせてしまい、社長への疑問が的確である事を認めるのに時間がかかってしまいました。
つまりまだ視野の狭かった僕は、子供の頃から描いてきた夢プランの道を修正するほどの柔軟性がなく、悪い意味で初志貫徹し、この事務所に固執してしまったのです。しかし所属を続けたところで進展はないまま時だけが浪費される、そんな状態が数年続いたのでした。
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