第4章 その2

演劇の世界は昔から精神論が根強く、時に理不尽なくらいに厳しい世界である事、また表現の世界は選択肢が無限で、演出は日々変わる事、それらは充分に理解したうえで、しかしそれを差し引いても、ここでのパワハラはそういう範疇ではありませんでした。

とある舞台で音響の操作係(オペレーター)として参加した僕は、稽古場で正面に操作席を組もうとしたところ、「邪魔だから」と、側面の壁際の位置に追いやられてしまいました。そして左から右へと列車の音を走らせる指示を受けるのですが、操作する僕の位置からはスピーカーが縦に並んでいるため、左右のバランスを認識できるはずがありません。

音の出すタイミングと音量だけならなんとかなりますが、繊細な移動操作となると、やはり自分で操作している音を聞き取れない状態では難しく、そしてその操作が完璧でないと、大勢の前で起立させられ、数分間、罵詈雑言を浴びせられたのです。その中には、稽古が止まっているのはさも僕のせいだと言う口ぶりも含まれていました。「こんな事もできんのか! お前舐めてるだろ! お前のせいで稽古が止まってるんだぞ!」

何より大きな問題は、「この位置では音が聞こえません」との正論のひと言を言う事が許されないほど、威圧的・高圧的な空気が劇団内を支配している事でした。その後、何度目かの挑戦が上手くいったようで、「そんなもんだ」と言われましたが、音が聞こえていない僕には、「そんなもん」がどんなもんだったのか解るはずもなく、本番への参考にはならず、社長の怒号を終了させた以外に意味はありませんでした。

現場でのサウンドチェックの際には、「すぐにやれ」と必要な工程を踏ませて貰えず、この時も「その前にフェーダーと聴感音量を揃えさせて下さい」なんてとても言う事はできず、僕はサウンドチェックをするフリだけをし、数値はメモしませんでした。本番では使えない数字だからです。ダミーのサウンドチェック作業が終わり、社長がその場を離れてから、僕は大急ぎで本来必要な手順で、1からサウンドチェックをやり直しました。

また、あまりに連続して効果音が登場する場面があり、それを2台のプレイヤーで再現する事は至難の業だったため、本番で操作ミスをしないように予め音の編集を行なっておくと、操作を容易に出来るようにした事を否定的に捉え「ズボラかますな!」と怒鳴られました。

しかしこの編集はズボラどころか、良い舞台を作るための工夫と努力そのものであり、ズボラとは相反する行為です。社長は団員の努力や工夫を、なんでもかんでも全て否定的に捉えるのです。結局僕は編集前の音源を使っているフリをし、同時にいつでも編集前の音を出せるスタンバイもしつつ、実際はより確実に操作が出来る編集後の音源を使用しました。

このように、良い舞台を作るために本来かけるべき時間や労力を削ってでも、社長のご機嫌を損なわないためのダミーを準備しなければならないわけです。勿論、どんな環境であれ、その状況下でのベストは尽くします。しかし良い舞台を作る事にベストを尽くさせて貰えないのは本当に悔しかったです。

列車の音の問題は、現場入りしてあっという間に解決しました。本番では音が聞こえる位置での操作だったので、ものの30秒で解決です。あの罵詈雑言で稽古が止まっていたのは、本当に無駄な時間だったと言う事です。

こんな事もありました。AプランとBプラン、2つの案を持って行き、最初に「2つ案があります」と前置きしたにも関わらず、1つ目の案が気に喰わないとその段階で罵倒が始まってしまいました。社長が主張する案は、まさにこちらがBプランとして用意していた物なので、とりあえず最後まで話を聞いて貰えば解決なのですが、勿論この時も「もうひとつの案を聞いて下さい」のひと言を挟む事なんて出来ません。

社長の頭には「もう1つプランを持ってきている」なんて消えているのでしょう。ベストな選択を模索するための複数プランなのに、その中に正解が含まれている事より、不正解が含まれている事を責められるのです。

0コメント

  • 1000 / 1000