最終章 その6
色んな自己啓発の勉強の場で、「気付き」と言うキーワードが使われます。「気付く事」がスタートそのものだからでしょう。気付きさえすれば、昨日までの自分は関係ない、今日からの自分が未来の自分を作る。
でも、この「気付く」事は意外に難しい。気付いていない時は、「自分が気付いていない事」にも気付かず、「自分は分かっている」と思い込み、気付いている組に居ると決めつけて動きません。僕がまさにそうでした。1度、「自分が根本的に間違っていたとしたら」と試してみるのも勇気かもしれません。
世の中には2種類の人間がいる。「計画性」と「実行力」を持った者と、そうでない者です。
世の中には2種類の人間がいる。約束を守ろうとする者と、そうでない者です。
世の中には2種類の人間がいる。自分と周りを成長させていける者と、そうでない者です。
世の中には2種類の人間がいる。人が慕って付いて来る者と、そうでない者です。
世の中には2種類の人間がいる。「お手本」となる者と、「反面教師」となる者です。
世の中には2種類の人間がいる。晩年になって振り返った時に、「やるだけはやった」と思える者と、「逃げてばかりの人生だった」と思う者です。
そして世の中には3種類の人間がいる。
気付けた者と、気付いたけど手遅れだった者と、最後まで気付かない者です。
僕は気付いた時、もう33歳くらいでした。間に合ったのか手遅れだったのかは、それはこれからの僕の頑張り次第。でも40歳からでも、50歳からでも、取り戻す事は不可能ではないと思います。それこそ自分次第でしかないのです。父も45歳くらいの頃に、息子から命懸けの反乱を起こされた事で気付き、それから20年かけて家族の絆を築きました。
34歳頃から、仕事に充実感を感じられるようになって来ました。素晴らしい仲間に出逢い、責任ある役目を任され、人が集まり、ファンも出来始めました。さらに36~7歳になった頃、生きている事を幸せだと感じるようになりました。
やっとです、本当にやっとですが、今僕は幸せです。子供の頃から夢に描いていた自分像とはだいぶ違いますが、産まれてから36年間、1度も感じた事のなかった「生きている毎日が幸せ」と言う感覚。そんなものがこの世に本当にあるなんて。
でも、たまに思う事があります。もしかしたら本当は、僕は首を吊ったあの日に死んでいて、今見ている世界は、「こう生きたかった」と言う夢なのではないだろうか。本当の僕は、病院のベッドに眠ったままで、あるいは死にゆく数秒のわずかな間に、長い夢を見ているのかもしれない、と。幼少からの日々を思うと、僕にこんな日が訪れる訳がないと思ってしまうのです。
最近になって、郵便局から預金が満期を迎える案内のハガキが来ました。それも数枚に渡り、結構な金額でした。しかし、僕にはそんな預金をした覚えはありません。10年前、僕が首を吊った時期の前後、母が僕の将来のために、僕の名義で貯金をしてくれていたのでした。
「ありがとう。でも僕はもう大丈夫だから。」と、僕はすべてを母に返しました。
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