第3章 その3

サッカー部の地区大会が近付いて来ました。出場するためには人数が足りないため、僕は学校中を駆け回り人数を集めました。部員数も少ない定時制では、大会に他クラブなどから運動神経の良い生徒を助っ人に入れてエントリーするのも珍しい事ではありません。

僕の熱意に3人の先輩が参加を決め、ギリギリ参加可能な人数、8人になりました。イジメ連中は1人も集められなかったのに対し、僕は1人で3人集めたのです。そして先輩達は、クラブでの目に余るイジメの実態を目の当たりにして驚愕し、「荒田君が酷くイジメられてる、先生なんとかしてやれ」と学校に訴えてくれました。しかし学校側はこの段階では様子見状態、担任も顧問も何も動いてくれませんでした。

学校側のこの悠長な判断が、事態をさらに悪化させてしまいます。ある日、僕が帰宅しようとしたところ、自転車置き場にある僕の自転車が、無茶苦茶に分解されていたのです。僕は大泣きしました。泣くと言うより、嗚咽に近いものでした。体中が震えました。そして連中はそんな僕の姿を見て、ニヤニヤしながら茶化すのでした。その時、これ以前にも不可解なほど頻繁にタイヤがパンクしていた理由が分かりました。自転車は翌日、兄が直してくれました。兄は自転車の惨状を見て「酷いな、よくこの状態で帰って来れたな」と言いました。

たまたまこの直後に個人面談が予定されており、急遽母が同席し三者面談の形で担任と話をする場が設けられました。普段からイジメに対する悔しさを母には訴えていたのですが、先生には上手く伝えられなかったため、この席で母が僕の無念さを代弁してくれるものだと望みました。

ところが違いました。母はイジメが治まる事だけを重要と考えていたため、「自転車事件の犯人捜しなんかではなく、今後同じような事がないようにだけお願いします」と言い出したのです。僕は耳を疑いました。担任の先生も「そうですね、そうなるように努力しましょう」的な感じになり、話の流れがそっちに向かってしまいました。

でも僕が望んでいたのは、まず真っ先に徹底した犯人追及と厳罰でした。先生や母は、イジメが終わりさえすれば解決と考えているのでした。でもそんな事だけでは、それまでに受けた心の傷は癒えません。今までの行為に対しての処罰が下されて、初めて解決なのです。

面談の場は、「自転車分解事件に関しては、これ以上もう問わない」と言う、僕が望まない方向に進んでいき、しかしナイーブだった僕は何も言えませんでした。悔しくて悔しくて、握りしめた掌には内出血が出来るほどでした。

今まで僕や先輩が訴えたのに傍観してきた事に対しては、本当なのか言い逃れなのか分かりませんが、「そろそろ何か手を打たなければと思っていた矢先だった」と説明されました。

助っ人として部に参加していた先輩達は、「俺たちが守ってやるから大会まで頑張ろう」と言ってくれました。加害者をも守らなければならない先生と違って、先輩達は完全に僕の味方に付いてくれ、その言葉はとても心強かったです。特にそのうち1人は僕への一連のイジメに対して学校の対応も含め本当に憤慨し、「お前ら人として恥ずかしくないのか」と、僕のために連中と喧嘩までしてくれました。

しかしその先輩達もあまりに酷いクラブの実態に「このサッカー部に力を貸したい」との思いが失せ、その大会のみで助っ人を降りてしまいます。

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