第2章 その4
復学の際には、他にもショックな事がありました。2年生の終盤に、来年度からの復学を担任の先生に相談したところ、先生は「少しでも登校しやすいように」との配慮から、仲の良い友達と同じクラスになれるように取り計ろうとしてくれました。僕には小学校の時に仲の良かったM君がいました。僕は真っ先に彼の名前をあげました。
ところがM君はよりにもよって、1年生の時に僕を不登校に追いやった主犯と仲良くなっていたのです。おそらくM君は、友人となったそいつが僕を傷つけた張本人とは解っていないと思います。果たして僕はM君とまた仲良くする事よりも、イジメ主犯に近づきたくない気持ちが上回ってしまい、M君とはクラスが分けられ、それ以来疎遠になってしまいました。
僕はこの頃には、「自分はイジメを引き寄せる電波のようなものを出しているのだ」と、本気で思っていました。
毎日食事をする、睡眠をとる、手を洗う、歯を磨く、トイレに行く、それと同じくらいイジメは僕の日常生活で日課として当たり前の物となっていたからです。
小学高学年の時を唯一の例外に、常に誰かに嫌がらせを受け、たとえ誰も僕の事を知らない新しい環境に行っても、そこでも必ずイジメが起こる。何もきっかけがなくても、不思議とイジメ連中が引き寄せられるように集まって来る。
入学わずか1時間で。復学時は4グループ20人もの相手から。本当に電波でも出しているとしか説明が付かないのです。「自分はもうそうなのだ」と、もはや呆れとも諦めとも言える感覚すらありました。
各イジメは先生に相談し、先生から注意をしてくれたため一応は下火にはなりましたが、すべては厳重注意のみ、罰則らしい事は一切ありませんでした。
時には両成敗のようにも言われた事や、加害者の「冗談のつもりだった」と言う如何にも子供らしい次元の言い訳を先生が鵜呑みにする事には、大いに不満を感じました。
結局、学校には五月雨登校で、年間通して半分くらいの登校がやっとでした。体育の授業には最後まで出席していません。中学校に良い思い出など、なにひとつありません。文字通り、なにひとつです。
活発でなんでも出来るクラスの人気者。そんなかつての姿とは似ても似つかない、そこにはまったく別人の僕が居ました。勉強にもまったくついて行けず、全日制の高校に進学するのは難しいとの判断から、
担任の先生から定時制の夜間高校を薦められ、そこに通う事になります。しかしそこでは、中学時代を越える地獄が待っているのでした。
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