第2章 その2
不登校であっても引きこもらず活発に外出ができれば良かったのですが、そんな事をしたら怒られるのではないだろうか。平日の昼間に外を歩いていたら周りの人はどんな目で僕を見るのだろう。夕方以降や土日ならば、もし知り合いに会ったらどんな顔をすれば良いのか。そんな事を考えてしまい、外出するのが怖くて、引きこもりになってしまうのでした。
お正月などの親戚の集まりも避けるようになりました。親は不登校の事をおじさんやおばさんに話しているのだろうか。もし伝わっているとしたら何か言われるのではないだろうか。そう思うと顔を合わせるのが怖くて、お年玉を諦めてでも親戚に会う事を避けました。のちに確認したところ、やはり不登校の事は親戚に伝わっていたそうです。ただ、おじやおばから不登校に関してお説教を受ける事は1度もなかったので、おそらく母が「そっと見守ってやってくれ」と言ってくれていたのかもしれません。
引きこもっている間、普段は好きな映画を何十回と繰り返し見たり、ゲームをしたり、自分で漫画なんかを書いて過ごしました。まだインターネットなんかない時代ですので、時間は腐るほどありました。昼夜逆転の生活が基本になってしまったのもこの頃からです。
しかし一方で、感情をコントロールできず、母に対して暴れるようになりました。家庭内暴力です。母は朝から晩まで僕と一緒に居てくれましたが、僕は思い通りにならなかったり、母に理解されていないと感じると、怒りが抑えられなくなり、暴れるようになったのでした。壁にはいくつも穴を開き、母は何度か痣を作ったり、鼓膜を損傷した事もありました。
母への僕の暴力は、少なくとも父が僕に行なっていた【それ】より酷いものでした。やはり不安がそのまま苛立ちに直結していたように思います。母には相当に辛い思いをさせたと思います。それでも母は逃げ出さずに、徹底的に付き合ってくれました。
父が僕に、暴力をやめるよう注意してきた事がありましたが、しかしあまり厳しくではありませんでした。これは僕の憶測ですが、父は自分が僕に暴力を振るっていた身である自覚があったため、「暴力はダメだ」と強く言えなかったのかもしれません。
勝手な言い分かもしれませんが、母に振るってしまう家庭内暴力と、イジメ連中が行なう暴力は、本質的に大きく違います。イジメは、その行為を楽しんでおり「殴りたいから殴る」のに対し、家庭内暴力は殴っているほうも辛く苦しく、「殴りたくないのに殴ってしまう」のです。その表れとして、家庭内暴力では「泣きながら暴れる」事はあっても、イジメで見られるような「殴りながら笑う」なんて事は絶対にあり得ません。
小学校の時は僕を学校に行かせようと、罰則を与えたりした母でしたが、しかし中学になってからの不登校に対しては、真剣に向き合ってくれました。母は【小さな学校】という、不登校に向き合う親子の会に参加するようになり、「学校に行かない我が子」を受け入れる覚悟を決めてくれたのです。
しばらくして僕もその会に足を運ぶようになりました。母親達は我が子との関係作りについての勉強会を行なっていましたが、僕ら子供達は別室で、ゲームをしたりマンガを読んだり、自由に時間を過ごす場でした。
たまに遠足のような事も企画され、とても楽しかったです。僕の外出は週に1回この「小さな学校」だけでした。この「小さな学校」で、自分を受け入れて貰え、不登校仲間の友達も沢山できた事で、不登校である事への罪悪感は随分と軽くなりました。
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