第1章の「今にして思う事」
幼少の頃、約10年間に渡って暴力を振るわれて来た僕ですが、行なわれた虐待はあくまでも単純な暴力だけで、食事を与えられないとか、狭い空間に長時間閉じ込められると言った事はありませんでした。
また大きな怪我をした事はないので、父なりに力加減はしていたのだと思います。階段から落とされた時は、怪我をしなかったのはたまたまではありますが。
僕は中学一年の時に決行したこの反乱で、ある種の自由を勝ち取ったと思っています。
母にも兄にも出来なかった、恐怖の支配者からの解放一揆は、僕が人生で初めて、自分自身の決心で何かを切り開いた瞬間だったと思います。
勿論、暴力による復讐は誉められた物ではありませんが、この反乱がなければ、僕は父が帰国してくる度に「不登校に対して制裁を受ける」と言う恐怖に怯え続け、父はいつまでも独裁的な支配者として君臨していたでしょう。
実際、それ以降父は1度も僕に暴力を振るう事はなくなりました。筋の通らない間違った理屈を言う事はしょっちゅうですが、それを暴力によって押し通そうとしてくる事はなくなったのです。
父とこの時期に別居していたのは、とても幸いだったと思います。
関われば関わるほど、恨みは大きく募って行ったでしょうが、関わりがなければ、それ以上に関係が悪くなる事もあまりないからです。一緒に住んでいたら、本当に取り返しのつかない事になっていたかもしれません。
またこの反乱の実行が、まだ力の弱い中学1年生の時で良かったとも思います。あと数年経ってからでは、体が出来上がって父を本当に半殺しに出来てしまっていたかもしれません。
後年、20代になって所属した劇団で、「12人の怒れる男」と言う、何度か映画化もされた有名な戯曲をやりました。暴力的な父を殺したとされる少年の裁判を担当する陪審員の討論劇なのですが、その作中で主人公の陪審員が、「少年は父からずっと殴られ通しで、彼にとって暴力を受ける事はもはや日常的な物でした。なのにその日、たった2度殴られただけで父を殺すなんて事があるでしょうか。」と、疑問を投げかける場面があります。「あるわい! 主人公がこんなに人の気持ちが分からんキャラで良いのか?」と、この物語の主人公に対して嫌悪感を持ったのを覚えています。全編通して主人公の考えが正義のように描かれているので、腹立たしささえ感じました。
3つ年上の兄は、弟想いで常にお手本となるような人間でした。例えば1つのクッキーを割って2人で分け合うとしたら、必ず大きいほうを僕にくれる優しい兄でした。一方僕は、なんとか誤魔化してでも大きいほうを得ようとするタイプでした。
兄の事を大好きだった僕は、兄が興味を持ったものはなんでもマネをしました。次男は、長男が始めた事をなんでもかんでも全てマネしてみるものです。声の仕事を目指したのも、ギターに興味を持ったのも、元々は兄の趣味がきっかけです。今はその役者とギタリストをやっているのですから、兄は僕の人生の羅針盤です。
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